代表プロフィール

トークオフィス代表者 和田裕文 プロフィール

1965年  ビートルズと出会う

初めて借りた洋楽のシングルレコードがビートルズに影響を受ける。

サウンドや歌詞の研究。コンセプトアルバムの制作。

そしてレコードプロモーションのノウハウに衝撃を受ける。

本やグッズの購入。同じビートルズファンとの交流をはじめる。

1966年6月 ビートルズ来日。テレビ放送。

初めての動くビートルズの演奏風景を15インチの白黒画像で観る。

ステージの演出がいたるところに演出がちりばめられている事に衝撃。

後々のイベント演出の参考となる。

以後ビートルズマニアとなり。レコード、CD、LD、8ミリフィルム、VHSビデオ、DVD、ブルーレイ、ポスター、グッズなどを収集。「ビートルズマニア展」のパッケージイベントも企画展も行う。

1967年 ヤマハ広島支店レコード部でアルバイト

ビートルズのファンクラブ「ビートルズシネクラブ」に入会。その広島支部のメンバーと

ビートルズのフィルム観たいという動機でヤマハ広島支店にかけあい協力を得る。

そのいきさつの中でレコード部のアルバイトを行う。

そこでレコードの仕入れから販売促進、イベント開催、顧客管理などを教わる。

音楽プロモーション映像に刺激され8ミリフィルムカメラで撮影を始める。

1967年 NHK教育テレビ放送「商店経営」

当時放送中のNHK教育テレビ放送「商店経営」興味を抱き、毎週試聴。

商品販売の基本。客の心理を見抜いての販売テクニック。スーバーに負けない経営方法。

販売促進、顧客管理など多くの事を学習。

1967年 デザイナー学院入学

デザインに興味を持ち数年たった頃。広島にデザイナー学院が開校。入学するもレベルの低さに6か月で退学。以後自身で開催のイベントの印刷物などのデザインは自らで行う。

1970年 「Grand Funk Railroad」

東京・旧後楽園球場で行われたアメリカのロックバンド「Grand Funk Railroad」を

雷雨の中で体験。

1971年9月 「Led Zeppelin」広島公演

被爆地・広島市へのチャリティーコンサートとして来広。

ステージすぐそば2階席最前列で観る。その後「Led Zeppelin」ブートレッグを買いあさる。

以後、洋楽の音楽サークルを立ち上げ小規模イベントを行う。

その印刷物も自らデザインを行う。

1972年~ 洋楽ライヴにはまる

●Deep Purple ●Suzi Quatro  ●David Bowe ●Chicago ●Ian Gillan Band

●Kiss ●Rainbow ●Angele ●Eric Clapton ●Queen ●Bad Company ●T Rex

●Wishbone Ash ●Bay City Rollers ・・・・・

その他フォークグループや、矢沢永吉、チューリップ、井上陽水など・・・

1973年 8ミリフィルム作品を制作

ヤマハ広島支店のバンドコンテスト「ウエストウエイブ」のドキュメンタリータッチの

映像を8ミリフィルムで制作。まだ民間のビデオがない中、約25分の作品となる。

広島、松江、山口の地方大会と「のうが高原」での野外ライヴの決勝大会。

1976年~ レコード販売促進のイベントを各地で開催

広島、倉敷、岡山、倉敷のレコードショップでイベントを何度も行う。

ビクターショールーム、オーレックスショールームにてDJイベントを行う。

1977年2月 アメリカのロックバンド「Angele」の広島公演のプロモーション

広島公演の2週間前に観客動員の手助けを行う。広島県立体育館。キャパシティ7000人に対しチケット販売数350枚を、ラジオ出演や話題性づくりで倍の700枚まで引き上げた

1977年 新譜のLPレコード予約540枚を実現

当時人気のイギリスのアイドルロックバンド「Bay City Rollers」の新発売のレコードの

プロモーションで540枚の予約を確保。全国のレコード店での売上ベスト3に入る。

これは、ファン心理を分析して、レコードセールスのツボを押さえたプロモーションで、

ビートルズのプロモーション戦略を参考にしたものであった。

1978年 タウン情報ひろしまの音楽ページのライター

新譜のレコードレビューを書く一方、レコードやライヴのキャンペーンで広島を訪れた数々の歌手やタレントを取材。映画の舞台挨拶のキャンペーンの俳優、女優の取材も取材。

1983年 音楽プロモーションの会社「NOW」に加わる

レコードのプロモーションとライヴハウスのバンドのブッキングを行う会社を、業界関係者3名で立ち上げる。

広島、岡山のFM、AM放送局にレコードとタレントのプロモーションを行う一方、

初代のライブハウス「ウッディ・ストリート」の出演バンド、歌手のスケジュール管理を行う。

1987年 タウン情報ひろしま編集長に就任

表紙のデザインや編集方針のコンセプト大幅改革。月刊誌の編集だけでなくイベント事業にも着手。表紙に読者モデルを採用。2名の歌手もそこからデビュー。

1990年 1990年創立のトークオフィスにアドバイザー兼役員で参加。

タレントや司会者の育成とイベント企画を業務内容として設立。

アドバイザー兼役員として、創設者のフォーローを行う。

1992年5月 代表者交代

設立者が体調を崩し退任。代表者に就任。映像部門を加えて事業の拡大を行う。

ミスコンテストに選出されるレッスン開始。約15名をミスコンやキャンペーンガールに送り出す。

1994年 食のイベント、観光プロモーションイベントに注目

市町村のイベントやJR西日本のイベントに携わり、観光物産、地方の特産物に注目。

イベントに組み入れることを促進。合わせて各地のお祭りや催事の情報収集のため

視察を多数行う。以後食のイベントは自社の主軸事業となる。

視察先は別途掲載。

以下はトークオフィスの沿革参照

以上の経歴がお役に立てばと思います。


参考資料・・・・・・・・・・・・・ライヴ鑑賞履歴の一部

ポールマッカートニー日本公演・・・

東京ドーム、京セラドーム、福岡ドーム、武道館、国技館など、来日公演の7割を観戦。

ローリングストーンズ・・・・・・・東京ドーム、京セラドーム、札幌ドーム

エリッククラプトン・・・・・・・・福岡、岡山、広島、札幌、東京、大阪

デビッドボウイ・・・・・・・・・・広島 万博会場太陽の塔ひろば

KISS・・・・・・・・・・・・・・・大阪、名古屋、広島、福岡、       その他多数


トークオフィス代表者 和田裕文